by 岩崎 雅典

 幻と言われた“ユキヒョウ”の撮影にトライし始めたのは1988年から。
 西ネパールのムグ地方を探索したが、この年はみごと空振り。翌1989年、再び訪れた。ネパールの中央部、アンナプルナ山系。幸運にも、ユキヒョウの親子三頭に遭遇。以来、記録映画への夢を膨らませた。
探索の旅
サガルマタ
マナン
12年後 再びマナン
マナンの生活
生き物たち
ユキヒョウの未来

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ヒマラヤ山系 サガルマタ
 1989年10月、サガルマタ地方を探索。サガルマタ(エベレストの現地名)地方は登山のメッカ。国立公園になっている。

 ジャコウジカ、ヒマラヤンタタールなど、ユキヒョウの獲物はいるものの、ユキヒョウの痕跡は全くなかった。
標高4000mのサガルマタ地方を行くスタッフ
 最初に訪れたパトラシヒマールの山麓。

 カトマンドゥからジュムラへは軽飛行機で。そこからは徒歩で1週間。途中からは村も道もなく、雨期の濁流の川沿いを行く。

 3週間滞在するも、全く手掛かりなし。
ネパールの生物学者(右)とユキヒョウの姿を望遠鏡で探す 西ネパール

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アンナプルナ山系 マナン
 ロケの拠点となったマナン地方の中心地マナン村。

 チベット仏教を信仰。人口約3000。ヤギ、ヒツジ、ヤクなどの放牧と零細農業で生計を立てている。標高3500m。

 最近はトレッカーなど、観光客で賑わうようになった。
 1989年12月。ベースキャンプ地(標高4000m)に朗報がもたらされた。

 ユキヒョウの親子がいる!という知らせだった。ラッキーというほかなかった。高山病の危険も忘れ、スタッフは高度差500mを一気に登った。

 到着30分後、カメラはやっと幻の姿を捉えた。
標高4500mの岩山にいたユキヒョウの子ども。
地元で“岩ヒョウ”と呼ばれている。
体毛が岩肌に似ているので発見しにくい。


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12年後 再びマナン
 1988年、89年の二度はテレビの番組取材だった。

 映画化のチャンスが訪れたのはその12年後。当時と同じスタッフ3名に新たに1名加わり、日本人4名、ネパール人6名の10名でロケを敢行した。
 ベースキャンプ近くの山の斜面で夜、ユキヒョウに襲われたブルーシープの死骸を発見。

 ユキヒョウは食べ残しの獲物に再びやってくる習性をもつ。そこで、最新式の無人カメラをセットする。

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マナンの生活
 出発前の打合せ中に、着飾った女性群が現れた。
 ヤクの乳にバターの入ったお茶とロキシー(ネパールの焼酎)で歓待された。12年前と比べ、人々の表情は一様に明るかった。

 新しいロッジやホテルが建ち並び、電気も通っていた。
 スタッフと着飾った村の女性達との記念撮影。宿泊したロッジのベランダ。右端の男性が村の実力者ミッチュン・グルン。

 2001年12月1日。筆者の誕生日(還暦)を祝い、ケーキを作ってくれた。
誕生日を祝うケーキ ベースキャンプで

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アンナプルナの生き物たち
 山岳地帯には大型の猛禽類が多い。腐肉を漁るシロエリハゲワシが最も多く、他にヒゲワシ、イヌワシなどなど、翼を広げると2m以上のワシタカが生息する。

 彼ら猛禽の動向は要注意。上空にたくさん集まって旋回するその下には必ず獲物があるからだ。
 ブルーシープの死骸も彼らの動きから見つけた。
シロエリハゲワシ
 ユキヒョウの最大の獲物となるブルーシープ。

 ヒマラヤからチベット高原に広く分布している。オスは体長2mほどで、60cmもの立派な角をもつ。
高山に生えるイネ科の植物を主食とする。蹄は柔らかく、急な崖の登り降りに適している。

 アンナプルナ山系では、40〜50頭の群れもいた。
ブルーシープの群れ

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ユキヒョウの未来
 ユキヒョウの生息分布域は世界の尾根と呼ばれ、ユーラシア大陸の山岳地帯。推定生息総数5000頭。ネパールでは300〜500頭。

 国際保護動物とはいう今でも、密猟が続く。少なくなったトラの替わりにユキヒョウの骨が狙われている。漢方薬の材料に
赤外線で初めて撮影に成功したユキヒョウの姿
 ユキヒョウの未来にいまのところ明るい見通しはない。ただ、ロケしたマナンの村人が“Sava the Snow Leopard”に立ち上がりつつある。

 映画『雪豹 Snow Leopard』が少しで役立ってくれることを願う。
雪原で親子三頭がじゃれあい転げまわっていた
仔どもは生後4〜5ヶ月

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