監督奮闘記 2013
 ドキュメンタリー映画「福島 生きものの記録」を撮って
 

 ともかく原発事故現場へ

 この4月、一年がかりの映画がようやく完成した。
まず現場へ行ってみようと思い立ったのは昨年の今頃だった。ちょうど福島県南相馬市の小高区というところが警戒区域解除(2012年4月16日)となったからだ。カメラマンと録音マン、そして私の3名。東京から東北自動車道福島西インターチェンジで降り、国道115号線に入り南相馬市を目指した。およそ7時間の行程だった。

 警戒区域解除の小高区に入った。“百聞は一見に如かず”。長年ドキュメンタリーの映画作りで様々な現場を見てきたこともあって、たいていのことでは驚かなかった。が、今度ばかりは違った。小高区にはまったく人影がない。

 殺風景な光景がつづく。警戒が解除になったというのに。街の中心地の崩れた土蔵の家。国道6号線沿いの瓦礫の山々。破壊された無惨な防潮堤。転倒した車、車、車、重機の数々。大地震と大津波の爪痕。一年経ってもそのままだった。自然の猛威をまざまざと見せつけられた。でも、こうした光景は言うなれば“想定内”だった。なぜなら、テレビ映像でさんざん見せつけられていたから。
問題は“放射性物質”。見えない!臭はない!。正直、恐怖感がなかなか湧いてこなかった。
 

 拡散した放射性物質のさなかで

 得体の知れない放射能を感知するのはただ一つ、持参した放射能測定線量計。旧ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故で使用された小型のものでカメラマンがネットで購入したきた。
 警戒区域浪江町との境界線で防護服をまとった福島県警に「許可証がなければUターンしてもらいます」と言われわれわれは、線量の高い小高区の北西、山麓部へ向かった。空間線量の数値がみるみるうちに上がりだす。最初、0・070マイクロシーベルト程度を示していた液晶画面が1・200、2・350と上がり、画面は赤くなりピピピッ、ピピピッと警戒音を発し始めた。
 最も高かったのは阿武隈高地の山麓部。7マイクロシーベルトを超えていた。年間に換算する約60ミリシ−ベルト。人の体の年間許容量は1ミリシーベルトとされている。とても人間の住めるところではない。でも、そこでニホンザルを一頭見つけた。群れで動いた痕跡もあった。野生の生きものたちは放射能など知る由もない。木の実や新芽といった植物性の食べ物を主食とするサル、内部からも外部からも確実に被曝しているはずだ。
 ツバメの子育てでそのことが現実となった。南相馬市小高区の無人の家の軒先でツバメが巣を作りヒナを育てていた。警戒区域解除といっても宿泊は禁じられていた。未だインフラが整っていないからだ。人の住む原町地区でもツバメがヒナにせわしく餌を与えていた。つごう五カ所でツバメの子育てを観察し、撮影した。ところがなんとそのうちの一つで親ツバメの異常を発見した。首の茶色い部分に“白班”が・・・。
 実は、チェルノブイリで調査されたツバメの被曝例の写真をいくつか見ていたので“まさか?”と直感が働いた。日本野鳥の会、保護室の詳しい人にも写真を送り意見を求める。答えは、「放射能の影響とただちに断定出来ないが、非常に疑わしい」とのことだった。さらにチェルノブイリのツバメを調べているフランスの研究者にも写真を送って問い合わせたところ、大変関心を抱き今年、日本に来ると言っているとも。もちろんわれわれも同じ場所で今年も撮影を敢行するつもりだ

 

 なぜ“生きもの”に拘るのか

 今回撮影対象にしたのは何も野生の生きものたちばかりではない。家畜もペットも、そして人間も撮った。当然ながら、これら生きものは皆等しく被曝の対象となったからだ。
 例えば、和牛畜産農家の人々。被曝により商品価値のなくなった牛をどう扱ったものかと悩んでいた。国は昨年5月、被曝牛の殺処分を指示。農家の同意を得ての処分だが、われわれの取材した畜産農家はこれに抗し、約300頭の和牛を飼い続けていた。自分のところの牛だけではなく他の農家から頼まれた牛も引き受けて。こうした活動を支援するサポーターたちと立ち上げたのが「希望の牧場」。ここで問われているのは“命”の問題だ。人間に食べられるために飼育されてきたニワトリ、ブタ、牛といえども人間の犯した事故の単なる犠牲者と見捨てていいのか。
 警戒区域富岡町で見捨てられた飼い犬に毎日餌を与えている奇特な人がいた。だが、「この犬、人前では餌を決して食べないんだ」という。人間不信に陥っているこの犬、ほとんど体毛がなかったそうだがミミズのような尻尾を残し毛が生え替わっていた。仕方なくわれわれは“カメラ”を据えたまま立ち去った。無人カメラに缶詰の餌を食べる姿が写っていた。ここでも“命”とはというテーマが透けて見える。
人間の住まなくなった山里。昼間からイノシシの家族が出没、放置された田畑を荒らす。50頭ほどのニホンザルの群れは舗装道路を我がもの顔で闊歩。軒先のたわわに実った柿は食べ放題。

 チェルノブイリがそうだったように、今でも高線量の里山は動物たちの王国になりつつある。
 土も水も森も空気までも汚染された自然。だが、逃げ場のない“生きものたち”はその汚染された生態系の中で生きて行くしかない。これを悲劇と言わずしてなんと呼べばいいのか。
 わずかな救いは、こうした現状を科学的に調査し、データを集め解明してゆこうとする研究者たちと出会えたことだ。夏の盛り、高線量の山中でアカネズミやモグラを捕獲する作業に同行した。地味な活動であるがこうした蓄積から始めるしかいまのところ手立てはないと痛感する。 福島第一原発事故は暗示する。これは“福島”だけの問題だろうか。放射性物質という得体の知れない魔物が、今後どんな影響を家畜やペットや野生の動物、そしてわれわれ人間にまで及ぶのか。今のところそれは、誰も知り得ない。確実に言えることは、放射能漏洩事故は人災であるということ。オーバーではなく、人類の存亡に関わる問題と思う。
 生ものの記録に拘る所以である

 上映会はじまる

 映画の公開は今年の5月末からはじまる。皮切りは日比谷図書文化館(5月29・30日)から。是非足を運んで欲しい。詳しくは群像舎のホームページやfacebookで。そして、各地での自主上映会を展開していただければ、なお嬉しい。

 シリーズ第2作目はすでにスタートした!    

2013年5月3日  
映画監督 岩崎雅典 


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